導入事例

JPICBOX 2016 NO.28 掲載株式会社 三和紙店 様

使用ソリューション:PROTSⅣ

社員一丸となって
震災を乗り越え、より発展を。

福島県の県都・福島市で、70年という歴史を重ねる株式会社三和紙店は、和洋紙から文具、紙製品全般に加え、農業用資材の仕入れ販売など特色ある事業にも進出しています。東日本大震災による痛手を乗り越え、社員一丸となって存続と復興とに力を尽くす同社は、2011年10月のホスティング移行、2014年12月のPROTSⅣ採用と、システム面の充実も図っています。

“くだもの王国”福島を支える農業用資材の仕入販売事業

株式会社三和紙店の設立は1946年。以来70年に亘って福島市でその歩みを続けてきました。主要な取り扱い品目は印刷洋紙、和紙、板紙、文具、家庭紙などの紙製品全般ですが、同社の特色として農業用資材の取り扱いが挙げられます。「福島県は“くだもの王国”といわれ、全国でも果樹栽培の盛んな県のひとつ。もも、ぶどう、なし、りんご、かき、さくらんぼなど多彩な果実が、7~8月をピークにほぼ半年間に亘って出荷されています。当社では全農様や県内のJA様を取引先に、出荷用の包装資材や果実用ネット、栽培用の果実袋などの仕入れ販売を行っており、売り上げの2~3割を占めるまでになっています。」

そう話される吉田和之社長は創業から5代目に当たられ、2010年に前社長の病気療養に伴って社長に就任されています。三和紙店がJPICのPW’S採用による初のシステム化を実現されたのは1997年。その際、前社長から導入の実務を一任されたのが、就任前の吉田社長でした。「実は初導入の数年前に一度、地元のシステム会社の製品でシステム化を検討したことがありました。しかし膨大な紙製品の品目に加えて約1000品目もの果実用資材の複雑さがネックとなり、一度は断念したのです。

その後、前社長がJPICさんによるシステム化を決め、私が担当を命ぜられました。その際は全くのアナログからの切り替えでしたから、スタートまでには大変な苦労がありましたね。JPICさんの担当者と一緒になって、連日夜中までの作業が続いたのを憶えています。」

初導入から5年後の2002年には、PROTS採用による新システムにリプレース。オフコンからパソコンへと更なる進化を実現しました。

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代表取締役社長
吉田 和之さん

社長就任からわずか半年後会社を襲った東日本大震災

2010年の社長就任からわずか半年後、三和紙店と吉田社長に大きな苦難が降りかかります。東日本大震災の発生です。福島市では震度6弱を記録し、三和紙店でも社屋の亀裂などの被害に見舞われました。吉田社長は当時をこう振り返ります。

「電気は翌日には復旧したのですが、建物の歪みのためかシャッターが閉まらない。水道の復旧には時間がかかりトイレも使えない状態。さらに原発事故が追い討ちをかけ、出社できない社員も多く、散乱した社内の片付けもままならない状況で、被災地全体がそうでしたが、業務は完全にストップしました。」

直後の混乱はもとより、その後も震災による地元経済の落ち込み、特に原発事故の影響を受けた沿岸部の打撃は大きく、三和紙店の商圏の中でも、いわき・相馬地区の中小印刷業者の中には、廃業を余儀なくされるお客様も多かったそうです。

「果樹に関しては風評被害も懸念されましたが、福島県では早くから放射線量の全量検査を徹底したため、出荷量自体は大きく落ち込むことはありませんでした。しかし紙については印刷紙、家庭紙ともに落ち込み、また子供が減ったことで文具の需要も減少しました。」(吉田社長)

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第一営業部
遠藤 美夏さん

業務再開から復興へ向けて、積極的なシステムの充実を

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災でしたが、三和紙店のシステムには大きな損傷はなく、業務再開の妨げになることはありませんでした。震災半年後の2011年10月には、端末6台の入れ替えとホスティングへの移行も実現されています。

「震災時は自社内にサーバがあり、ちょうどホスティングへの移行を予定していた時期でした。それが震災で延期となっていたのですが、余震の心配もあり、再開後は安全のためにもホスティング移行を急ぎました。データの安全性はもちろん、サーバの管理や遠隔保守などの点でも、ホスティングによって負担が軽減されたと思います。」(吉田社長)

2014年12月には、PROTSⅣを採用した3回目のリプレースを実施。端末は2011年に入れ替えたものを継続使用していますが、さまざまな点で進化を遂げています。

実際の業務でシステムを使われている第一営業部の遠藤美夏さんに、移行までの経緯や、新システムで改善された点などをうかがいました。

「移行の際は、1ヶ月ほど前にJPICさんに新しい端末を用意してもらい、切り替えまでの間に実際に触れてみて操作を習得しました。もともとPROTSを使っていましたので操作に大きな違和感はなく、スムーズに移行ができたと思います。切り替え当初はエラーなどのトラブルも多少ありましたが、JPICさんにその都度対応していただき、1ヶ月くらいでスムーズに使えるようになりました。新システムになって改善された点は、まず検索機能がアップしたこと。必要なデータを探し出すのが格段に早くなりました。明細などの画面も見やすく、データをCSVで出せるので、簡単にエクセルなどに出力できるのも便利です。営業さんに依頼された資料なども、迅速に渡すことができて助かっています。」

今も続く復興への道のりを社員一丸となって歩み続ける

大きな災害を乗り越え、PROTSⅣによるシステムの進化も実現された三和紙店。復興への道はいまだ半ばといえるかもしれませんが、その長い道のりを今後どのように歩んでゆかれるのか、最後に吉田社長の抱負をうかがいました。

「震災から5年目を迎えますが、経済状況は未だ震災前の水準に戻ったとはいえない現状があります。この状況を乗り越えるには、社員みんなが力を合わせることが何より大切です。私自身、社員から社長となった者として、社員が一丸となって団結できる会社にしていくのが私の役目だと思っています。JPICさんとは長いお付き合いになりますが、今後も今まで通りのきめ細かな対応により、システムに関しては全面的にお任せできる存在としてお付き合い願いたいと思っています。」

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阿武隈川を望む板倉神社と復興祈念碑。かつての福島城庭園跡にある紅葉山公園には初代藩主板倉重昌を祀った板倉神社があったが、東日本大震災で倒壊し、市民からの寄付により再建された。

企業プロフィール

本社 福島県福島市柳町3-30
TEL 024-523-1311(代)
代表取締役社長 吉田 和之
設立 昭和21年(1946年)
資本金 1,000万円
従業員 14名
導入月 2014年12月
URL

※本文中の肩書および内容は2016年取材当時のものです。

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